凄いぞオートモ号!
「大正10年に空冷四気筒の『オートモ号』の第一次試作車が完成、翌11年には第二次改良車ができました。
この年に東京・上野池之端で開かれた平和博覧会の交通館に、この第二次改良車を展示して人気を呼びました。
12年の関東大震災で通信、交通網が壊滅した時に『オートモ号』が大活躍したので、豊川社長は大いに自信を持ち、製品倉庫を機械工場に改造して『オートモ号』の本格的生産に乗り出したのです。
14年4月には東京で『オートモ号』の新車発表会を開き、試乗希望者のためにデモンストレーション・カー2台で宮城前広場の一周コースを回りました。
この年の11月に中国の上海へ初輸出したのです」
「この年の12月には東京・洲崎の埋立地で開かれた第1回自動車レースに参加しました。
出場したのは、アート商会のデムラー、カーチス、ハドソン、フィアット、ルノー、ビュイックなど。
もちろん『オートモ号』以外は外車ばかりです。
ところが最後の無差別レースの決勝で『オートモ号』が堂々二着に入り、観衆をわかせました。
また翌大正15年4月には、大阪-東京間(約662キロ)エンジンノンストップ耐久運行試験レースに参加。
第一位ルノー、二位シボレー、三位は不明で、『オートモ号』は四位に入り、国産の空冷小型車として国際的な称賛をあびました。
このように『オートモ号』は大正末期から昭和にかけて、まだ国産自動車がほとんどない時に、ルノーやシトロエンなどの外車と肩を並べて大いに気を吐いたといえます」
この当時から今の中古車トラックに言われるような「丈夫な日本車」だったのですね。